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林 健太郎(はやし けんたろう、1972年8月29日 - )は、東京都町田市出身の元サッカー選手。ボジションはDF/MF。 == プロフィール == 非常にキック(パス)が正確な選手として評価される事が多い。182cmと長身であり空中戦にも強い。 大学卒業後、ヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)に入団。当初はセンターバック、後にゲームメーカータイプのボランチとして長年ヴェルディを支え続けた。ヴィッセル神戸には'98年シーズン途中からの加入だったが、16連敗というJリーグワースト記録(当時)を作るほど深刻な不振に陥っていたチームの立て直しに貢献し、J1参入決定戦にてコンサドーレ札幌に競り勝ちJ1参入を決める原動力となった。2005年にレンタル終了後復帰したヴェルディのJ2降格が決定すると、米山篤志らと共にクラブから戦力外通告を受ける。 その後、ヴェルディと入れ替わるかたちでJ1へ昇格したヴァンフォーレ甲府の大木武監督からのラブコールを受け移籍。豊富な運動量を求められる甲府において、林も「動く選手」に変身しつつあるが、どっしりと中盤の底に位置し、多彩な攻撃を操る様はまさに甲府のコンダクターである。移籍後も何度か古巣・ヴェルディのホームゲームに足を運び、様子をチェックしていた。 プロになってからほとんどPKを外したことがないPK職人だが(唯一1995年5月3日に国立で行われた浦和レッズとの試合で、延長でも決着がつかずにもつれ込んだPK戦において失敗している)、2005年のゼロックス・スーパーカップ(東京V vs 横浜FM)以降PKを蹴っていなかった。しかし、4年後の2009年10月11日に行なわれた天皇杯全日本サッカー選手権大会での2回戦の関西大学との試合でのPK戦の5番手として得意の「コロコロPK」で成功している。甲府でのPKはこれが唯一で、かつプロ生活最後のPKとなった。なお、「コロコロPK」は遠藤保仁の代名詞となっているが、遠藤よりも先に披露している。 年齢からくる衰えとチームの若返りにより2009年を最後に現役を引退。2010年6月27日に引退試合として「ヴァンフォーレ甲府 vs 林健太郎とゆかいな仲間達」が開催され、前半はゆかいな仲間達側で出場し1アシスト、後半はヴァンフォーレ甲府側で出場し1ゴールを決めた。 2011年から東京大学運動会ア式蹴球部(サッカー部)のコーチに就任、2013年まで務めた。また、コーチ業と並行してスカパー!、J SPORTSでサッカー解説者としての活動も行っている。 2015年より東京都社会人サッカーリーグ所属のLB-BRB TOKYO(東大サッカー部と慶大サッカー部のOBを中心としたクラブ)のヘッドコーチに就任。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「林健太郎 (サッカー選手)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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